今回の東日本大震災で母の仕事が継続不可能となり、実家の家計はとても苦しいものとなってしまいました。そんな中、大学に進学するのは経済的に大変だったので、少しでも実家に負担をかけないようにしようと考えていました。そんな時、支援金の募集を見て応募しようと思いました。支援金そのものは被災の程度から考えても決して多くはないものでしたが、とてもありがたくそれ以上のものに思えたし、支援金を出してくださったSEEDS基金に賛同している多くの方々に感謝するばかりです。これからは、震災の被害にも負けず周囲の方々への感謝の気持ちを忘れずに、有意義な大学生活を送りたいと思います。
今回の震災により、多くの尊い命が奪われました。被災者ではない方も震災のことを我が事化し、後世に伝えていくべきです。私は被災者の方達を元気づけられるように精一杯尽くしていきます。日本全体で復興へ向けて行動を起こしていきましょう。
地震によって生活環境が、全て変わってしまい大学進学もできるかどうかわからない状態でしたが、支援金のおかげで無事入学することができました。大学に進学できたことを感謝しながら、勉学に精進し、将来恩返しできるよう頑張りたいと思います。
冬支度のまま避難して季節は夏目前。「帰省」出来る人が羨ましい。過去を振り返っては後悔ばかりが募る。しかし、今回頂けることになった奨学金で、これからの生活を考え始めた私もいる。過去を言い訳にして腐るより、せめてこれからの人生に後悔しないよう生活していきたい。
ずっと住んでいた大好きだった町が津波で流されました。家も車も人も全部、町ごと流されました。未だに信じられません。『中間被災者』の学生である私たちにとって今、このように大学に通い続けていれるのも支援金のおかげです。皆様には、感謝の気持ちでいっぱいです。
今回は東日本大震災被災学生支援金を給付していただき本当にありがとうございました。今回の震災で、父が失職し、今後の生活に不安を覚えましたが、支援金のおかげで以前と変わりない生活が送れています。
自分は4月末に地元へ戻りましたが、街には瓦礫しかなく18年住んでいたとは思えない故郷になっていました。ただ、ボランティアや支援のおかげで町の人たちは何かと暮らしていました。本当に、支援してくれた人たちには感謝しています。
私の実家は,今回の東日本大震災の津波により家は全壊の被害を受け,父の職場も多大な被害をうけました。帰省した際に、住んでいた街も瓦礫だらけになっており、復興に向けこれからやるべきことが山積みだと感じました。また、まさか自分の住んでいた家にもう住めなくなるとは思っていませんでしたが、長男なので社会人になったらできる限り親孝行したいと思います。
あの地震で、多くの人が亡くなり、怪我をし、家を失い、職を失いました。自分の家族がそうした人々の一人になったという事実は、いまだに現実味を持ちません。大災害はいつ自分の身に降りかかるか分からないと実感しました。
この度は、大学側から支援をいただき、精神的にも経済的にも救われたような心地がしました。この災害を風化させることなく支援に努めて欲しいと思います。
私は福島県いわき市出身です。この度の震災による津波の被害によって、私の父は仕事の収入がほとんどなくなってしまいました。しかし、支援金のおかげで両親の負担も減り、ほとんど以前と変わらない大学生活を送れています。本当に支援金には感謝しています。
今回の震災で、私の地元福島県浪江町は地震・津波・原発の三重の被害を受けました。思い出のつまった実家やお世話になった近所の方、自慢の地元を失い、大きな悲しみと悔しさを味わいました。しかし一方で今、支援し応援してくださる周りの方々や世界中の方々に励まされ、温かい気持ちでいっぱいです。みなさんの支援を糧に、被災地が少しずつ復興していけらたと思います。
大学院入学を1ヵ月前に控えていた中で震災に遭い、福島の実家が一部損壊、父の会社は半壊という事態に陥りました。幸い、家族は全員無事だったものの、「このまま私は進学していいのか」とても悩みました。家庭環境も苦しい中で父に「今回の震災の教訓を風化させないようにしてほしい]と言われ「私がやらなきゃ!!」と思っています。今回いただいた支援金は、家族だけではなく学校や支援している方々にも応援していただけている、と嬉しく思っています。持病を抱えているため通学が大変な時もありますが、たくさんの方に支えられながら、これからは地元に恩返しをしていくつもりです。
「この度の被災地出身学生への迅速な対応に厚く御礼申し上げます。福島は地震・津波・原発・風評被害の四重苦に喘いでいます。しかし、必ず福島は復興します!相馬野馬追、わらじ祭り、白虎隊に鶴ヶ城、温泉、美味しい果物、北方ラーメン、ハワイアンズetc福島には見所がたくさんあります!みなさん、福島にこらんしょね!」
リアス式海岸に恵まれ、誇れる場所であった地元が津波の被害を受けた。帰省して現地に赴くと、海岸線は滅茶苦茶になり、実家も流されて跡形も無かった。幸い家族は無事であり、大学からの援助もあって生活は普段どおり送れているが、あの光景を思い出すと、安易に復興なんてことは言えない。ただただ、今は無力感に苛まれる。



